古典の文豪
『不幸は不足ではなく過剰から生まれる?』
ロシアが生んだ文豪、トルストイの作品を読んでいます。150年以上も前に書かれた物語には、人生の教訓がちりばめられていて、本当に素晴らしいなぁと思います。
『すべての不幸は、不足ではなく過剰から生じるのだ・・・』
これは逆説的ですが、真実をとらえています。世の中にはこれでもか!という位の贅沢品がありますが、いずれ日常品に変わり、それがまた義務になってしまう。
この数十年もの間に、人間は冷蔵庫、洗濯機、テレビにエアコン、コンピューターにファックス、携帯電話、SNS・・・と、便利で、これさえあれば時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずのものを、沢山作ってきました。
しかしながら、それらを買いそろえても、時間にゆとりが出来るどころか、毎日を追われるようにせかせかと暮らしています。
30年も前に携帯電話はほとんど普及していませんでした。現在のように、LINEで既読を付ければその日には返信しなければというスピードと義務感に追われるようになったとも言えるのです。
過剰に便利であることは、佳い点と悪い点が絶対に生じます。
『人間の幸福を妨げるのは、個人的な幸福を求める存在同士の闘争』
これもやはり、自由であるが故に、自分さえ良ければそれでいいといった考え、法にさえ触れてなければいいという不感的価値観を生む人間の心理を突いています。
『人の罪は目の前だから見えるが、自分の罪は背中だから見えねえのだ。』
自分が正しいと思う場面であっても、自分の落ち度はなかなか見えません。認められないものです。
そんな時に、自分の非をちゃんと見る力をもった人って、幸せだなぁと思います。
今生きている命に感謝し、他人に感謝し、文明に感謝する。あらゆるものに感謝できる生き方こそが、本当の強さで、豊かな人間なのでしょう。
ものをどう使うか。
ものの観方を味方にどうするか。
古典の文豪は、今に問いを残してくれたように思います。