人生における3つの無駄
人生には3つのムダ遣いがあると、以前人生の先輩に教わったことが印象的に残っています。
まず一つは、『お金のムダ遣い』です。
これは誰しも思い付くものではないでしょうか。あーっ、あんなもの買わなくてよかった!とか、あの時は衝動的に欲しくて買ったけど、ほとんど使用していない・・・など、所謂浪費のことを指すといってもよいでしょう。
二つめは、『時間のムダ遣い』です。
やるべきことを後回しにして、だらだらテレビを見てしまった・・・。こんな時間を過ごすのではなかった!と後悔してしまうこと、ありますよね。ついつい有限であることを忘れてしまいがちです。
そして最後の一つ。これが人生で一番のムダ遣いだと私は思います。
それは、『心のムダ遣い』です。
哀しいかな人間とは誰かと比べてしまう生き物。人と比べて、あの人には負けている、この人よりは勝っている!など、優越感と劣等感を行き来する心。これは本当に無駄なエネルギーです。
この事がどれだけ人生を浪費させ、エネルギーを無くしているかということを、自覚しなければなりませんね。
出来るだけ、この3つのムダ遣いを無くすことが、豊かな人生を創る大きな要素だと自戒の念を込めて思います。
特に心のムダ遣いを注意し、自分自身の人生を味わえたらいいですね!
2024年7月24日(水) 7:59 哲人 <danteltimeislife@gmail.com>:
1987年に初版された、【生き方の研究】(森本哲郎著)を読んでいます。日本経済がバブル期に入った、中曽根さんが総理大臣を務めていた時代です。この本は、人間はどのように生きるべきか?という問いと向き合い、その答えとして先人たちの智恵を紹介するといった、哲学、思想、実行が備わった、なかなか腰のある名著です。その中から、セネカのお話が印象的でありました。古代ローマの思索家であり政治家のセネカは、人生の短さについて研究をされた一人です。古代ローマ時代ですから、平均寿命などは今に比べ、相当短いものだったと思います。セネカは人生の短さに、こう言及しました。『われわれは人生に不足しているのではなく、濫費(浪費)しているのである。人生が短いのではない、我々が短くしているのだ。』言い替えると、人々は、まるで永久に生きられるかのように生きていると言うことです。日本は、戦後すぐまで人生50年と言われていました。そこから半世紀、寿命革命がおこり、今では100年時代だと言われています。人生が倍になったとしても、毎日を浪費し、明日、明日と先送りして生きる。さらに、世の中が便利になっても一向に暇にはならず、心は多忙で過ぎていく。そのような生き方では、人生が100年、150年になったところで、ふと死を前にして後悔しても、後悔しきれないのではないか?そんな事をセネカの文章から読み取れるのです。セネカはこう括ります。『明日を頼りにして今日を失うな』毎日毎日を最後の日のように思って生きるのは難しいですが、毎日、毎日を味わって生きることから、はじめてみる事は大切だと思います。後回しではなく、今ここに生きる。今できることをする。それが快活に生きる術なんですね!