他人の物語に絡め取られない
先日、NHK Eテレで放送されている『最後の講義』。小説家あさのあつこさんの放送を観ました。
講義が始まる前、「希望がない時代の希望を見いだせたら」と語ったあさのさんは、母校である青山学院大学に集う10代〜50代24名に、珠玉のメッセージを贈りました。
あさのさんは岡山県の田舎町に生まれます。姉は成績優秀、弟は父親が欲しかった待望の男の子。そんなあさのさんは、10代の頃は自分に自信がなく、誇れるものがない。だけど自分は皆と違う唯一の私だ、という自負心だけは強い、そんな息詰まるような拘りが常にあったといいます。
代表作『バッテリー』は、自分がもう一度中学生に戻って生き直すならこうありたいという願望を主人公に託した物語。
褒められるとか、認められるとかよりも、自分の想いに忠実に生きる。そんな主人公『巧』を描いたのは、今もなお、なりたかった自分として課題が残っているからだそうです。
あさのさんは、書くことは『掻き出すこと』と定義づけます。つまり、自分のことを文字に起す作業の中に、自分が生きるためにたくさん被ってきた皮のようなものを、一枚一枚剥がしていくのです。
そうして、自分自身の苦しみや葛藤、喜びや矛盾など、自分だけの唯一無二の物語と向き合うことで、他人の物語に絡み取られないで生きてほしいと訴えました。ここは特に印象的で感動しました。
現実を見れば、世界のさまざまな地域で戦争が起こり、日本の経済や社会の問題も大いにあります。天災は多く、異常気象も心配。いつ何が起こってもおかしくない。それを煽るかのように、すごく簡単に「絶望」が語られてしまう。
そのような時代に、安易に口先だけで希望を語るのは陳腐かもしれません。
しかし、同時にすごく簡単に語られる絶望も嘘。
そんな、ちまたの絶望や希望に惑わされて生きてはいけない。称賛もない、メディアに取り上げられることもない。でも唯一無二の個人的大切な自分の物語は、誰にも奪われてはいけない。あさのさんの切なる想いは、とても共感できるものでした。
講義の最後に、22歳のライターをしている男性が、『自分で自分の価値観を大切にしていきることは、とてもしんどいのではないか?』という質問をしました。
それに対して、あさのさんはひとつひとつ言葉を丁寧に選びながら、このように返したのです。
『誰かの価値観の中に生きているしんどさも、同時に自分の価値観を確かめ、育てながら生きていきたいというしんどさも知っていらっしゃる。
気付いてしまうとどちらもしんどい。だけど、気づいていない人には見えないもの、風景が見えてくることがある。それを出来れば表現して生きてほしい。』
問題や課題がこうやったら解消できました、というような、そんな人生は実は無いのかもしれません。
誰もが右往左往しながら、たくさんのプラスやマイナスを受け入れたり手放したりして生きているのが人だと思います。
そんな人生を愛おしく思える、心に温かな火を燈してくれる、素敵な講義でした。