タイパによって失うものとは?
近年、若い人を中心に「タイパ(タイムパフォーマンス)重視」の考え方が広まってきました。ネットフリックスやAmazonプライムで映画やドラマを観る時も、1.5倍速で見たり、物語に直接必要がないと思われるような間を飛ばして観るという人も、身近に増えています。
タイパとは、費やした時間に対して、得られる満足度が高い方が良し(お得な人生)とした概念です。効率の良いことを出来るだけ選んで、非効率に生きることを嫌う。言わばそこに損得勘定が大きく関わるのです。
私ももちろん、少ない労力で高いパフォーマンスが出せたら、なんかラッキーだとか得したなぁと思ってしまうことがあります。反面、このような事だけが人生の満足であるかどうか?という疑問も感じたのです。
私は以前、タイパがもたらす、効率よく得られる満足感(ここでは幸福感とします)と、実はそのタイパのせいで失ってしまっているのではないか?と思われる幸福感について考察したことがあり、今でもこのテーマについて、物思いにふけることがあります。今回はちょっと整理がてら、ブログに残して置きたいと思います。(と言っても、全くもって浅い考察ですので、参考にはならないと思いますが・・・。)
■タイパによって得られるもの
これはまさに効率の良さです。少ない時間、小さな労力なのに、得られる満足感が大きいことは、とても嬉しい事です。以前から世の中は、タイパをいかに良くするか?を追求してきたと言えます。例えば、私がまだ幼い頃には、市場というものが主流でした。夕ご飯の買い物は、市場のある商店街に行き、魚は魚屋さん、野菜は八百屋さんといった具合に、専門のお店で買うことが当たり前でした(私の住む門真が下町だったという事もありますが)。昭和の風景の1つですね。
しかし、市場や商店街よりも、効率よく買い物が出来るスーパーマーケットが台頭しはじめると、一気に買い物の風景は変わりました。陳列する様々な食材から、買いたいものだけをカゴに入れ、最後にレジでお金を支払う。売る側も買う側も効率が良かったので、今はもうほとんどがそのようになっています。
コンビニがこれだけ増えたのも、気軽に簡単に買い物が出来るという便利な点にほかならない。
また、忙しい中、通勤時間でドラマを観られるスマートフォン。そしてそのドラマも、倍速で観ることによって少ない時間にある程度の満足感が得られる。こういったタイパ思考が、昔から時代を変化させ、ある意味で技術を進化させてきたと言えます。
■今後最大のタイパは?
インターネットが普及し、我々の生き方は大きく変わりました。ネットを通じて世界中と繋がり、玉石混交の情報が溢れています。疑問に感じたことはすぐにインターネットが教えてくれる。便利な世の中です。
一方で、増え続ける莫大な情報をうまくハンドリングするためには、タイパ的な効率が益々必要でしょう。この情報処理に欠かせないものが、AIですね。
AIは、我々の生活にとって最大のタイパと言えます。AIが出て来て重宝がられる理由の1つは、世界の複雑さと膨大さを、どう人間のサイズに圧縮するかという課題解決に欠かせない点です。
AIの役割は、必要であるか無いか、使えるか使えないかの判別や、プロセスの効率化によって、欲しい結果をすぐに導いてくれる事でしょうから、仕事などの効率は劇的に変わります。その昔、物語や文章を多くの人に読んでもらうためには、沢山の人間が書き写してコピー版を作っていたのが、木版印刷や活版印刷という技術が発展し、機械が人に変わって行ったように。
■タイパによって失っているものとは?
人生の時間は限られていますから、限られた時間に多くの情報が得られたら嬉しいと思います。しかし、その反面でお手頃に得られたものは、結局はお手頃なものとして消費されていくのでは?とも思えるのです。これは、自分の能力が乏しいだけなのか、古い人間の脳みそだから?かもしれないのですが。
タイパによって失っているもの。これは人間の幸福感に直結する、『情緒』ではないでしょうか。先程の市場からスーパーマーケットに変わったことで、買い物の時間というものを劇的に短縮させる事になりました。しかし、以前では魚屋さんに行って買い物をする時、魚屋さんとのやり取りがありましたし、八百屋さんでは八百屋さんとの会話がありました。新鮮なネタを聞いたり、子どもの話をしたり、時には時事、世間のことなど。長い付き合いになると、お互いの生きる背景を感じ取れるようになり、相手を大切に思う心が生まれ、人間にとって、一見何も生産性を生み出さないようだけど、大切な情緒が育まれていきました。近年はレジまでセルフレジに変わっていき、人とのコミュニケーションよりも時間、経費効率が優先になっていますね。
ドラマや映画も、行間を読むようなシーンがあります。何も言葉にせずとも、その姿が言葉以上に語っている。そんなシーンに、鑑賞者は想像力を大いに働かせるのです。こういった場面は、一見無駄のように感じるかも知れません。しかしながら、ここに人生の深い味わい、醍醐味のようなものを感じるのです。そして、そのような時間が多いほど、私は豊かな情緒を育んだ、質の高い幸福感を得られるのではないか?と考えています。タイパによって、実は幸福感ではないのか?と思うのです。
■お釈迦さんが悟った事は?
最後に、少し話は変わるようですが、今から2500年ほど前、お釈迦さんが悟りを開き、人生を一言に置き換えられました。それは『苦』でした。
生老病死という言葉があります。
生きるという苦しみ。
生まれればいつかは死ななければならないという苦しみ。
好きな人とはいつか別れがあるという苦しみ。
嫌な人、憎しまなければならない苦しみ。
欲しいものや欲しい人が自分のものにならない苦しみ。
病がある、そして老いる。総じて人生は思い通りにならない・・・。これを『四苦八苦』と言うのですが、これほどの発明は他には無いかもしれません。
お釈迦さんが今の時代にいらっしゃったら、タイパで得られる満足感などは、人生の真理からするとこれっぽっちも無いと指摘するのではないでしょうか。
費やした時間が1で、得られるものが10を良しとするタイパ思考に対して、費やした時間が10あっても、得られるものは1あるかどうかと思いなさい!なぜなら、思い通りにコントロール出来ないことが人生なのだから。と言われそうです。
ただ、人生には費やした時間で得られた結果にフォーカスするのではなく、その費やしている時間(プロセス)にこそ、人生そのものの価値があるのではないでしょうか。
なぜなら、人生は今、今、の連続ですから。今ここの一瞬一瞬に重心を置き、大いに味わう。これこそが情緒に恵まれた生き方だと、今は考えています。効率はそこそこにしながら!
長々お付き合いをいただき、有難うございました。