
伊丹万作の言葉
1943(昭和18)年といえば、日本は戦争一色の時代。そんな時代に戦争映画ではなく、庶民の日常に光を当てて大ヒットした映画があります。
「マルサの女」などで有名な伊丹十三監督の父である、伊丹万作脚本「無法松の一生」です。

厳しい検閲を受けながら、なんとか完成させたというエピソードが残っています。もちろん当時は大ヒット。戦争一色の世の中で、一時でも戦争を忘れ、熱狂できたのかもしれません。
そんな伊丹万作が戦後に綴った言葉があるのですが、私は感銘を受けました。特に戦争が終わって間もない頃の日本、及び日本人をより的確に表現されているのではないか?と思いますので、以下に共有致します。
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多くの人が
今度の戦争でだまされていたという。
しかし
責任を軍や官僚にのみ負担させて
彼らの跳梁を許した自分たちの罪を
真剣に反省しなかったならば
日本の国民というものは
永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」といって
平気でいられる国民なら
おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや
現在でもすでに別のうそによって
だまされ始めているにちがいないのである。
「伊丹万作エッセイ集」伊丹万作
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「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
本当に本質的なものを突いていると思います。
そんな総括であの戦争を締めくくってはならない。
なぜ起こったのか。マスコミや国民の高揚感はどうだったのか。なぜ熱狂し、敗戦していったのか。
今なお、真摯に向き合うべき問題だと思いますが、皆さんはどう感じますでしょうか?
9月も中旬ですが、日中はまだまだ夏日。海に入りたいくらいです。身体を休めながら、毎日を大いに味わって参りましょう