力と引き換えに意味を放棄する
早いもので、もう12月も中旬になりました。ついこの前まで夏のような陽射しを感じてたと思ったら、今や、夜はコート無しには寒すぎる。本当に1年の早さを実感しています。
さて、ちょうど世の中がコロナウイルスのパンデミックになった時のことです。ベストセラーとなった、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を読んでいました。
なかなか腰のある本で、無知の自分には非常に難解さを感じながらも、人間、いわゆるホモ・サピエンスの歴史がどのように今に紡がれ、そしてこれから未来がどのように進んでいくのか、そんな壮大なテーマに興味を引かれました。
未来への警笛が書かれた「ホモ・デウス」の下巻は非常に意味深い文章から始まります。
下巻は第6章からスタートしますが、この冒頭の鋭い切り口が印象的な一文を抜粋しました。
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現代というものは取り決めだ。私たちはみな、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統制される。(中略)
何かソフトウェアをダウンロードし、添えられている、難解な法律用語が何十ページも並ぶ契約書に同意するよう求められたとき、一目見て、最後のページまでスクロールして、「同意する」という欄に印をつけ、後は気にしないのと同じだ。
ところが実際には、現代とは驚くほど単純な取り決めなのだ。契約を一文にまとめることができる。
すなわち、人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。
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この、「力と引き換えに意味を放棄する」という言葉には、背筋がゾッとするような感覚を覚えました。
例えば生成AI、ChatGPTなどが日進月歩で進化すればするほど、その便利なツールに依存することになり、自分で調べたり、考えたりすることを放棄してしまうでしょう。
自分で考えたり調べたりして理解するという面白さや「意味」は置き去りになる可能性があります。
自分の努力ではなく、便利すぎる力を得るために、我々は意味をどんどん放棄する、何かに依存し、頼りながら生きる。
それが人間本来の幸福であるかどうかは、本当に考える必要性があると強く感じました。
これから世界はデジタルトランスフォーメーション(DX)の時代に入ります。企業は益々生産性向上へ競争力を高め合うでしょう。このような資本主義的な物語とはまた別に、生きるとは何か、そしてどんな時代であっても、どう生きるべきか、本来の豊かさとは何か?そんな哲学的な思想が、人間的なバランスや英気を大いに養うことに役立つと思う今日このごろです。